病んだ人生を癒やすイエス様
☕ このように過ごしてみてください 心を楽にして文章の流れをひと通り眺めたあと、画面下の音声に耳を傾けてみてください。すべて聴き終えたら、最後にある「一緒に考えてみましょう」の問いに答えながら、心に残った思いを静かに整理してみるのもよいでしょう。
物質や成功を手にすれば、私たちの心も満たされるのでしょうか。私はこの問いから出発して、傷つき疲れた人生に先に近づいてくださるイエス様を、あなたと一緒に見つめたいと思います。
満たされない心
多くのことを成し遂げたり、たくさんのものを持ったりしても、心が満たされないことがあります。私はその問題を、仕事や持ち物が足りないということだけで捉えるのではなく、心の奥深くにある渇望とともに考えてみたいと思います。
物質や達成には価値がないと決めつけようというのではありません。ただ、それだけで心の根本にある問いにまで十分答えられるのか、あなたと一緒に考えてみたいと思います。
傷が残す影響
恐れや劣等感、怒りのように、外からは見えにくい痛みが、私たちの人間関係や反応に影響を与えることがあります。長い間ほどけなかった傷が、思いがけない場面で荒々しい言葉や行動となって現れたことはないでしょうか。
私は、誰かの心を軽々しく分析したり、その人の状態を決めつけたりしたくはありません。ただ、心の苦しさを隠すのではなく、その根にあるものを正直に見つめ、必要なときに助けを求めることは、私たち皆に必要だと思います。
先に訪ねてくださるイエス様
私があなたと分かち合いたいイエス様は、遠くにおられる方ではなく、病んで自分からは近づくことのできない人を、先に訪ねてくださる方です。ヨハネによる福音書 5:5-9には、イエス様が長い間病床にいた人のもとを、先に訪ねられる場面が記されています。
ヨハネの黙示録 3:20では、イエス様が心の戸口に立ち、戸をたたいておられます。私はこのみことばに、私たちを見捨てず、関係へと招いてくださるイエス様の心を見ます。魂の渇きに与えられるいのちの水
イエス様がくださる賜物を、暮らしの状況がすぐに変わるという保証として語りたくはありません。私はそれを、この世で得るものとは異なる、魂の渇きに応えるいのちと平安だと受け止めています。ヨハネによる福音書 4:13-14で、イエス様は再び渇く水と、永遠のいのちを与える水について語られます。
私はこのいのちの水を、神との関係の中で味わう満足と喜びだと信じています。これが、私があなたと分かち合う信仰の告白です。この告白に触れながら、あなた自身の歩みと心をゆっくり振り返ることができたらと思います。
回復への入り口
私自身もむなしさを抱えて生きていましたが、イエス様に出会っていく中で、心が変えられました。だから私は、イエス様がどのような人をも赦し、愛し、傷ついた人生のもとへ今も訪れてくださる方だと信じています。
回復の歩みが、すべての人に同じかたちで訪れるとは言えません。ただ、私があなたと分かち合いたい大切なことは、これです。疲れた心と人生を隠さず、神の前に正直に持っていくことができます。
☕ 一緒に考えてみましょう
- 手に入れようとしてきたけれど、心を十分には満たしてくれなかったものは何ですか。
- 自分の心の苦しさに気づき、いたわるために、今できることは何でしょうか。
- 「先に訪ねてくださる」という言葉は、自分にどのような問いを残しますか。