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傷ついた心を癒やすイエス様

☕ このように過ごしてみてください 心を楽にして文章の流れをひと通り眺めたあと、画面下の音声に耳を傾けてみてください。すべて聴き終えたら、最後にある「一緒に考えてみましょう」の問いに答えながら、心に残った思いを静かに整理してみるのもよいでしょう。

傷ついた心は、人との関わりや生き方にどのような跡を残すのでしょうか。私はその痛みから目をそらさず、傷ついた心をいたわってくださるイエス様を、あなたと一緒に見つめたいと思います。

心が健やかであるということ

衝突を経験したあと、自分から近づいて仲直りするまでには、大きな勇気が必要です。傷が深いほど、ほんの小さな言葉にも心が長く揺れ、人との関係を解きほぐしたいと思っても、なかなか動き出せないことがあります。私たちにも、そうした痛みを抱えた心の部分があるのではないでしょうか。

私は、傷つくことをその人の弱さだと判断したくはありません。ただ、心の健やかさは、私たちが人と関わり、信仰の教えを生きるうえで、深い影響を及ぼすことがあるという事実を、一緒に見つめたいと思います。

解決されないままの痛み

向き合えないまま残った傷は、怒りや誤解、人間関係の断絶など、さまざまなかたちで現れることがあります。身近な関係の中で受けた痛みほど長く残り、その影響が自分だけでなく周りの人にまで及ぶこともあります。

だから私は、心の苦しさをそのままにせず、癒やしといたわりを必要とするものとして、真剣に見つめてみませんかとお勧めしたいのです。だからといって、一人ひとりの経験を診断したり、ただ一つの治療法を示したりしようというのではありません。

癒やし主として来られたイエス様

私は、イエス様が体と魂だけでなく、傷ついた心をもいたわってくださる癒やし主だと信じています。イザヤ書 61:1-2には、心の傷ついた人を癒やし、捕らわれている人に自由を告げるというみことばがあります。

心の傷は、私たちを過去の痛みにつなぎ留めることがあります。イエス様はまさにそのような場所へ愛をもって近づき、私たちの回復を願ってくださる方だという希望を、私は分かち合いたいと思います。

赦しが開く道

傷つけられれば、憎しみや怒りが生まれるのは自然な反応かもしれません。私はその思いを急いで否定せず、それでもイエス様の教えの中で、なぜ赦しが大切な位置を占めているのかを、マタイによる福音書 6:14-15とともに考えてみたいと思います。

私が語る赦しとは、被害や過ちをなかったことにする行為ではありません。赦すことは決して簡単な歩みではありません。それでも、憎しみに縛られていた私たちの心が、少しずつ解き放たれていく道になり得ると私は信じています。

正直さと憐れみ

赦しへ向かう最初の一歩として、まず心の痛みややるせなさを、神の前に正直に差し出してみてはどうでしょうか。そこで赦すことを決心し、相手への憐れみを求めるとき、赦しの道をもう少し深く歩んでいくことができます。

エペソ人への手紙 4:32は、互いに親切にし、赦し合うよう勧めています。私はこのみことばをあなたと分かち合いますが、あなたの事情を知らないまま、特定の関係について何かを決めるよう求めたいのではありません。

愛をもって見つめる

誰かの過ちの背後にも、その人がこれまでに経験してきた痛みがあるかもしれません。神が私たちを憐れんでくださったように、私たちも、自分を傷つけた人を理解と愛の目で見ようとするとき、心の回復が始まることがあると私は信じています。

あらゆる関係が簡単に回復するとは言いたくありません。ただ、傷ついた心を隠さず、愛と赦しについて、一緒にゆっくり考えていけたらと思います。

☕ 一緒に考えてみましょう

  1. 自分の心を長い間重くしている関係や記憶はありますか。
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  1. その痛みを安全に振り返るために、どのような助けや時間が必要ですか。
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  1. 赦しと和解を分けて考えるとき、自分が守りたい境界線は何ですか。
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