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あなたは幸せですか? — 聞いて理解する

音声について: 本ページの音声は韓国語です。文章は日本語ですが、再生すると韓国語の音声が流れます。

1. 人間の根源は神です。聖書はそれを神のかたちと呼びます

幸せでない理由

メッセージを語る方は、多くの人がお金を稼ぎ結婚しても、実際には心が満たされない現実を指摘することから始めます。長い結婚生活の末に配偶者への思いが冷めてしまったある夫婦の話が例として挙げられます。メッセージを語る方は、このように人々が幸せを追い求めながらも満たされずにさまよっている状態を「この世の狂乱」と表現し、その根源的な理由を聖書が教えてくれると言います。神との関係が断たれていることがその理由であり、これが人生のあらゆる問題を解くマスターキーだと説明します。

お金がなくても、敵がいても、夢をかなえられなくても本当に幸せな人々がいるという事実は、人の不幸が外的な条件のためではなく、いのちの根源である創造主なる神と断たれていることにあると示しているとメッセージを語る方は言います。

神のかたちに造られた存在

メッセージを語る方は、放蕩息子のたとえ(ルカによる福音書15章11-24節)を通して神と人間の関係を見ていくと言い、まずルカによる福音書15章12節を読みます。次男が父に財産を先に求めたことは、父が生きているうちに遺産を求めるという当時の文化にはあり得ないことであり、実際には父から独立して自分の思いのままに生きたいという心の表れだったとメッセージを語る方は説明します。

この場面でメッセージを語る方は創世記1章27節を取り上げ、神が人をご自身のかたちに造られたというみことばの核心は、人を子として造られたという意味だと説明します。アダムが自分に似た息子を生んだと語る創世記5章の表現と同じ意味を指しているということです。続けて創世記2章7節を取り上げ、神が土で人の体を造り、その中にいのちの息を吹き込んで人を生きる存在とされたというみことばから、神のかたちの核心は、神が吹き込んでくださった霊にあると説明します。

霊として造られた人間

メッセージを語る方は、人の体は土から来たので地から出る糧で生きるが、霊は神から来たので神との関係の中でのみ、すなわち神のみことばと恵みによってのみ満たされ得ると説明します。人の霊が世のどんなものによっても満たされない深いむなしさを感じる理由がここにあり、権力や富貴、願いの実現によっても決して満足できない理由も同じだと言います。

黙想の問い

メッセージを語る方はこう問いかけます。「なぜ人間は幸せではないのか。」私は今、その場所を何で満たそうとしているでしょうか。

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2. 神のかたちに造られた人間に何が起きたのでしょうか

神を押しのけ、自ら主人になったこと

メッセージを語る方は、父が生きているのに遺産を求めた次男の行動は、父の束縛を受けることを嫌う心そのものだったと説明します。お金を受け取るとすぐに遠い国へ旅立ったこと(ルカによる福音書15章13節)に、この息子の本心が表れていると言います。メッセージを語る方は、これが人間の罪を最も深いところで示す場面だとし、人間が神から離れた理由は、神が主人であることを拒み、自分が主人になって思うままに生きたかったからだと説明します。イザヤ書53章6節が語る罪の本質、すなわち人がそれぞれ自分の行きたい道を行くことと同じだと言います。

メッセージを語る方は、聖書が罪を二つに区別して表現していると説明します。一つは、神を押しのけて自分が主人になろうとする根源的な罪であり、もう一つはその根から結ばれるさまざまな罪です。メッセージを語る方は、殺人、盗み、うそのような罪の実を見る前に、まず心の深いところにあるこの根源的な罪を見なければならないと強調します。

抑制を失った欲望

メッセージを語る方は、父のもとを去った次男が財産を放蕩の限りを尽くして浪費したこと(ルカによる福音書15章13節)について、神から離れた人間が肉の欲望を制御できず、その欲望の奴隷になる姿だと説明します。欲望そのものは罪ではなく、神の支配の中で制御されているときはむしろ益になりますが、ガスの火が制御を失うとすべてを焼き尽くすように、制御されない欲望は人を滅ぼすと言います。

自由意志と罪の構造

メッセージを語る方はローマ人への手紙1章28-29節を取り上げ、人々が心に神を留めたがらなかったので、神は彼らをその頽廃した思いのままに任せられ、その結果さまざまな悪い実が現れたと言います。神は人間を造られたとき自由意志を許されたので、人が自ら罪の道を選んでも神は強いて止められないと説明します。心の中で神を留めることを嫌い、自分が主人になろうとしたその頑なさが罪の根本であるとメッセージを語る方は改めて強調します。

牧会訪問で確かめた罪の根源

メッセージを語る方は、熱心に信仰生活を送っていたものの離れてしまったある家庭を牧会訪問した経験を例に挙げます。この信徒はかつて信仰共同体の中で熱心に信仰生活を送っていましたが、その後経済的な困難を経験して思い煩い始め、その恐れが心から神を押しのける契機になったとメッセージを語る方は説明します。恐れのために世のやり方を一つずつ許すようになり、結局教会には通っていても信仰からは遠ざかっていたということです。牧会訪問の場で賛美とみことばを分かち合いながら、心の中心で神を押しのけたことが根本の問題であったと伝えたとき、この信徒は大きく泣き、メッセージを語る方はその瞬間聖霊が問題の根源を示してくださったからだと説明し、その後この信徒の信仰が回復したと伝えます。

飢饉の中で奴隷になった人生

メッセージを語る方はルカによる福音書15章14-16節を取り上げます。財産をすべて浪費した次男に飢饉が訪れ困窮し、豚が食べるいなご豆でも腹を満たせない有様になります。メッセージを語る方は、罪の誘惑は初めは甘く迫ってくるが、一度陥ると罪はかえって人間を裏切り、主人となって奴隷にすると説明します。お金があり世的に罪を犯していても自由人なのではなく、満たされることのない罪の奴隷として生きるのだというのがメッセージを語る方の説明です。

神から遠ざかった人生に現れる四つの問題

メッセージを語る方は、神から離れた人生に現れる問題を四つに整理します。

第一に、神のいのちから離れることになります。メッセージを語る方は、神が吹き込んでくださったいのちの息こそが神のいのちであり、このいのちから断たれると、体は生きていても神の目には死んだ者と同じだと説明します(エペソ人への手紙4章18節)。

第二に、祝福された人生を生きられず、苦しみと不幸を経験します。メッセージを語る方は、神が人間を造られたときすでに祝福された存在として造られたが、祝福の根源である神から離れることでその祝福を失い、さまざまな問題の中に生きるようになったと説明します。

第三に、真の満足を味わえません。伝道の書1章8節が語るように、人の目と耳は見ても聞いても満足せず、人の欲望は満たされるほどにかえって渇きを覚えさせるとメッセージを語る方は言います。ここでメッセージを語る方は、ある有名な俳優が人気の絶頂で残したという手紙、すなわちすべてを手にしたのに空しく不幸だと告白した内容を例に挙げます。

第四に、真の平安を味わえません。マタイによる福音書11章28節で、イエス様が労苦し重荷を負う者たちを休ませてくださると呼びかけられたみことばを引きながら、自ら人生の主人になって生きようとしても結局自分の力ではこの人生を担いきれないことに気づき、その場所に恐れと心配と思い煩いが根を下ろすとメッセージを語る方は説明します。

黙想の問い

メッセージを語る方はこう問いかけます。「皆さん、そうではありませんか。」心配と思い煩いと恐れが、私の心にも絶えず居座っているでしょうか。その根はどこにあるでしょうか。

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3. 信仰を持つということは、神との断たれた関係を回復することです

信仰生活とは関係の回復

メッセージを語る方は、神との関係が断たれてこれらの問題が生じたのであれば、信仰生活の根本は教会に通うことではなく、神との断たれた関係を再び回復することだと言います。人間はもともと神の中にいた存在であるため、信仰生活は神と初めて出会うことではなく、再び出会うことだと強調します。メッセージを語る方は讃美歌405番「私のような罪人を救ってくださった」に触れ、人が失っていたものを再び見つけたときに感じる安堵感を、長く家を離れていた人が再び母の腕に抱かれることにたとえます。

イエス・キリスト、関係回復の唯一の道

メッセージを語る方は、神との関係を回復する唯一の道はイエス・キリストだと言います。「イエス」という名は自分の民を罪から救い出す者を意味し、「キリスト」はメシア、すなわち救い主を意味する職務的な名だと説明します。ヨハネによる福音書14章6節でイエス様がご自分を通してでなければ父のもとに来る者はないと言われたことが、これを裏づけると言います。

救いの確信を取り戻したある信徒の話

メッセージを語る方は、長く教会に通っていたものの救いの確信がなかったある信徒の事例を挙げます。この信徒は神を創造主としては信じていましたが、イエス・キリストが自分の救い主であるという事実は心では信じられない状態でした。以前聞いた音声資料を再び聞きながら自分がまだ救われていないという事実に気づき、その後福音書を読み進める中で、以前の主日に語られたメッセージで紹介された例え話と同じようにして主をお迎えするに至ったとメッセージを語る方は説明します。その後この信徒が礼拝と賛美の中で感激の涙を流したと伝えます。

メッセージを語る方はこの話を通して、新旧約聖書全体が、神から離れた人間にメシアを送り、再び神のもとへ立ち返らせようとされる神の御心を一貫して示していると言います。

黙想の問い

私は、神を創造主として知ることから進んで、イエス・キリストが私の救い主であることを心で信じているでしょうか。

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4. どうすればこの救いの恵みを受けることができるのでしょうか

十字架で成し遂げられたこと

メッセージを語る方は、イエス様が十字架で私たちのすべての罪を代わりに負われた、世の罪を取り除く神の子羊であられることに短く触れ、この部分は次の時間にさらに扱うと言います。

迎え入れることの意味

メッセージを語る方は、ヨハネによる福音書1章12節が語る「迎え入れる」こと、すなわちその名を信じる者に神の子どもとなる権利を与えられるというその迎え入れが、単に心の中に救い主としてお迎えすることではなく、イエス様を私の王、すなわち私の人生の真の主人として再び受け入れることだと説明します。

悔い改めと迎え入れ、二つの要素

メッセージを語る方は、イエス様を信じ迎え入れるということを二つに整理します。第一は、自分が罪人であると認めて悔い改めることです。神を押しのけ、自分が主人になって自分勝手に、自分の栄光のために生きてきたことを認め、神の前に悔い改めなければならないと言います。第二は、イエス・キリストを私の救い主、そして主としてお迎えすることです。私の罪のために十字架で死なれ、よみがえられた方として信じることが救い主として信じることであり、今からその方を私の人生の統治者としてお迎えすることが主としてお迎えすることだと説明します。

メッセージを語る方は、幼いころから親のお金や人の物をこっそり持ち出すような過ちも罪だが、それよりもまず根源的に、自分が主人になって神から離れたことを悔い改めなければならないと強調し、聴衆に悔い改めたかどうかを直接尋ねます。

神は愛です

メッセージを語る方は、放蕩息子が奴隷になってもよいという思いで父のもとへ帰ったとき、父がかえって走り寄って彼を抱き寄せてくれたように、私たちが悔い改めて神へ一歩踏み出しさえすれば、神はすでにその場所で私たちを待っておられると言います。メッセージを語る方は、これが神の愛だと説明します。

迎え入れの祈りへ進む

メッセージを語る方は、迎え入れの祈りをするとき必ず悔い改め、すなわち神から離れて自分勝手に生きてきたことを認める内容が含まれなければならないと言います。新しく信仰を持った人の相談に乗った経験を例に挙げ、初めて教会に来たある信徒がこの悔い改めの祈りに従って祈るうちに、自分でも驚くほど涙を流したことを伝え、それが告白されるとき魂の立ち返りが起こると説明します。続けて、すべての罪をイエス様の血で洗ってくださいと求める祈りと、イエス様をお迎えし聖霊で満たしてくださいと求める祈りが一緒にあるとよいと言い、この内容は教材にはないが、試してみる価値があると付け加えます。

失われた魂への招き

メッセージを語る方は締めくくりに、この場にいる人々のほとんどはすでに救われているが、周りにはまだそうでない人々がいることを思い起こさせます。メッセージを語る方は「主を信じずに生きて死ねば地獄です。悲惨な地獄です」と言います。これはこの整理本の断定ではなく、メッセージを語る方が伝えた主張として記録します。メッセージを語る方は、この豊かないのちの糧を携えて、まだ信じていない人々のもとへ進んで行けるようにと願い、みことばを締めくくります。

黙想の問い

私は今、神が主人でしょうか。そうでないなら、悔い改めてイエス様を私の救い主、そして主としてお迎えすることを願いますか。

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